「R」vol.18を開催するにあたって
今回の「R」vol.18を紹介するにあたり、なぜあらゆるエロやエロスをテーマとするのかを書かなくてはいけない。
始まりは2019年2月19日にさかのぼる。
1.「R」vol.18のはじまり
ローカルベンチャー協議会を中心に、地域のプレーヤーや自治体、民間企業が集まって開催されたビジネスプランの交流会のような場で、一つの出会いを果たしたことだ。今回の出演者となるあや香&Ryutaroはダンサーであるが、それぞれダンススクールやスタジオなどを運営している。彼らが地域に目を向け、何か新しいアイデアを実現してみたいと考える場所に居合わせた。あや香氏はそこで行われたプレゼンテーションの中で、ダンススクールの事を語るついでに、かつて自分が最もセクシーなダンサーを決めるコンテスト「SEXIEST」で優勝した事を補足として語った。仕事と挑戦の場のマッチングが求められる本企画の中で、なぜか結びついたのが、その経歴と、僕が石巻で開催して来た仕事外での活動である「R」だ。「こんな濃い人材は、石巻市なら受け入れられるのではないか?」というイベントコーディネーターの提案に対し、「ちょうど夏ごろに開催する予定なのが「R」vol.18で、これをR-18指定でやったら面白そうですね」という僕自身の安直なダジャレから始まった。あや香氏と相方でもあるRyutaro氏は、その一言で石巻来訪をすでに決めてくれていた。
2.不自由と自由
R-18指定で開催するという事は、二つの縛りを生む。
何らかの性的表現があること。そして「R」としては初のクロージングなイベントであること。これは一イベントとしては難儀な事かも知れないし、テーマを設けず、企画タイトルさえ自由としていた「R」にとっては、かなり苦しいチャレンジになる事は必至であった。しかし、ルールが生まれる事で、より自由な表現と開放感(あるいは解放感)が生まれる事にむしろ期待していた。スタートとゴールだけが描かれた行道の「自由」な迷路よりも、壁が描かれた「不自由」な迷路の方が、分かりやすくゴールには辿り着けるからだ。どんな迷路であっても、壁に手を触れて辿っていけば、ゴールに辿り着く。とはいえ、その壁があり過ぎたのでは、想像を超える表現は生まれない。そこで、そんな迷路の中に、一つだけ用意した壁が、今回のエロスというテーマだ。これは「R」をこれまで自由に行って来た中で出来上がっていた固定観念やルールのようなものを、破壊してくれるものになるだろう。ある意味では最終回を2年後の「R」vol.21と決めた事へのタナトスへの反抗として生まれたテーマでもある。
3.エロスというテーマについて①
エロスがテーマと言っても、これは真意が伝わりづらい。そもそもエロスの定義が「エロ」であったり「エロティシズム」であったり、場合によっては「愛」にまで接触するような多様性がある。今回は出演者に、テーマを指定すれど、その捉え方は各々に任せる事にした。あるいはこちらから、お声がけする段階で、エロ、エロス、エロティシズムなど、あらゆる観点から選ばせていただいた。出演者はミュージシャン、ダンサー、パフォーマー、役者、写真家、縛り屋、モデルなど、これまでの「R」にはないバラエティ性を持っているが、彼らに共通するのは、あらゆるエロスが関係する表現をしてもらう事である。エロ、エロス、エロティシズム、またはセクシーさや官能など、今回の「R」は性的表現に関するあらゆる階層を行き来する。R-18指定というと、いわゆるお下劣なエロだけを連想させてしまい、成人男性向けの表現のみと思わせてしまいがちだが、決してそうではない。
4.エロスというテーマについて②
「R」vol.18の「エロス」というテーマの中には、エロやエロティシズムも含む。エロスはいわゆる「エロ」という俗語の語源となる言葉ではあるが、もともとはギリシア哲学の中で「人間が神に近づくための努力」という意味での「愛」を指す言葉であった。それがキリスト教文化に吸収される中で、神の愛「アガペー」に対する「低俗で卑猥な愛」として「エロス」という概念になったという。では、そもそもエロと、エロスと、エロティシズムの違いとは何か。ショーペンハウアーは『幸福について』の中で、「俗物にとっての現実の享楽は感能的な享楽だけである。すなわち感能的な享楽によって 填め合せをつけているわけである」と語った。これはいわゆるエロを定義したものであろう。一方バタイユは『エロティシズム』の中で、「この世界は、動物性あるいは自然への否定の中でまず形成され、次いでそうした自分自身を否定してゆく人間世界なのだ。ただしこの第二の否定においてこの人間世界は、自分自身をさらに乗り越えてゆくのであって、けっして自分が最初に否定した自然へ舞い戻ったりはしないのである。」と語った。エロティシズムとは、禁止を侵した先の性欲領域であると言っている。最後にプラトンは『饗宴』の中で、「以上をまとめると、こうなる。エロスは、よいものを永遠に自分のものにすることを求めているのだと」と述べている。エロスとは、性的欲求を根底におきながらもその発散のみならず、相手への敬意、尊敬などの善感情を伴って行為される性欲領域であるということだ。つまりエロスとは、いわゆるエロ行為そのものだけでなく、人間だけが持つ理性や知性、愛や心が伴うものであり、性(生)を“表現すること”である。
5.「R」vol.18の求めるエロス
「R」としては、いわゆる下劣とされる「エロ」や高尚なエロス、アーティスティックなエロティシズムに優劣をつける事はしない。タブー視されがちな性的表現をあらゆる次元でお客様に感じてもらい、考えてもらえれば幸いである。と書くと、小難しいイベントのようにも感じられるかも知れないが、実際にはいつもの「R」ならではの、ゆるやかで、ピースフルでありつつも刺激的な、楽しいものとなるだろう。そのような空間の中で、セクシーな音楽とお酒で金曜の夜を彩ってもらいたい。笑える艶話で、日常の時間を少しでも忘れていただきたい。触れた事のない世界を知り、刺激を感じたり、誤解を晴らしたりしていただきたい。エロとエロスについて考察する時間にしてもらいたい。カップルや夫婦、友達どうしで気軽に体験できる企画もあるので、自分なりに楽しみに来て欲しい。単純に笑って楽しめるものから、深く考察をできるようなもの、体を動かせるものまで、あらゆるパフォーマンスが行われるサーカス。それが今回の「R」vol.18である。
6.さいごに
かつてロマンポルノ映画館もあった寿町通り。石巻の歓楽街の真ん中にあるBLUE RESISTANCEにて、「R」vol.18は開催される。すでに閉館した、石巻のエロのランドマークでもあった映画館「日活パール」の看板は、石巻劇場芸術協会という僕も関わる団体が保管させていただいており、9月29日まで、会場近くの「石巻のキワマリ荘」にて、REBORN-ART FESTIVAL2019の作品としても展示されている。「R」vol.18は館主が生前言った「エロでもなんでも、文化の灯りは絶やしてはならない」という言葉に対する僕なりのアンサーであり、多くの死が一度に起こってしまった石巻だからこそ「R」最終回の前にやりたいと思っていた生の祝福である。7か月前、ひょんなことから始まったR18企画ではあるが、今回のすべての出演者陣との出会いは、vol.21の最終回を前にした必然であったようにも、どこか感じている。願わくは、これまで20回以上続いて来た「R」のように、常連の方も初めてのお客様も関係なく、一緒になってこの唯一無二のvol.18を作り上げれればと思う。あなたが自分の生まれた命を、手触りを持って感じられる夜になってくれれば、こんなに幸いなことはない。
2019年9月
「R」主宰 矢口龍汰